『サン=ジャンの私の恋人』から『夜明けのスキャット』まで…
『サン=ジャンの私の恋人』から『夜明けのスキャット』まで…
梨里香
2011年はまたたく間に過ぎ去ってしまいました。3月11日以来、日本中が大きな悲しみに襲われたことは言うまでもありませんが、奇しくも同じ日に、私のフランス語の恩師松島征先生(京都大学名誉教授)が胃癌の手術をされ、その後急逝されました(享年69歳)。私にとっては、追い討ちをかけられたような辛い出来事でした。長らくシャンソンエッセイが滞りましたこと、ご容赦ください。
少し季節を遡りましょう。それは初夏、ちょうど夏至の頃、フランスにサン=ジャン祭という聖ヨハネの火祭りがあります。祭りの日にひとりの女が男と出会い、恋に落ち、そして結局捨てられる…という、シャンソン・レアリスト(現実派シャンソン)の典型のような歌『サン=ジャンの私の恋人』(1942年)についてのお話。サン=ジャン祭の残り火を恋人と飛び越えるとその二人は結ばれる、というロマンティックな言い伝えもありますが、祭りの炎は人の心を掻き立てるのでしょうか。
≪…私は、サン=ジャン祭のバルミュゼットに出かけ、一人の美しい男に出会う。甘美な言葉とその大胆さに魅かれ、私の大切なものをあげてしまう…けれどそれは結局、恋の罠、祭りが終われば恋も終わり、彼はもう愛してくれない…≫
なんだかありそうな話ですが、Gmで創唱するリシェンヌ・ドリーユの低い声と三拍子のリズムが不思議な魅力を醸し出しています。
また、『サン=ジャンの私の恋人』と言えば、フランソワ・トリュフォー監督の映画『終電車』(1980年)を思い出される方も多いことでしょう。こちらはドイツ占領下のパリが舞台。男女3人の関係と時代の緊張感が織りなすドラマです。セザール賞10部門を受賞した同監督の最大のヒット作ですが、時代を象徴するドリーユの独唱が、映画の導入部で非常に効果的に使われています。そして、この歌が生まれてから70 年。今日でも、フランス人の愛唱歌ベストテンに必ず入っているというのですから、歌そのものに力があるのでしょう。
ところで、同じようなことが現在の日本の歌謡界でも起こっているのをご存知ですか?
その火付け役は、アメリカのピンク・マルティーニ・ジャズ・オーケストラ。歌うは、あの由紀さおりさん。『夜明けのスキャット』をはじめ1969年にヒットした曲ばかりを集めたアルバムが欧米で評価され、アメリカとカナダでチャートの1位を取り続けています。しかもほとんどすべて日本語で歌われています(『さらば夏の日』のみフランス語!)。このブームの理由は、関係者も由紀さんご本人もよくわからない…とのことです。しかし、意味はわからないけれど、≪カンジル、ワカル≫ ということが、アートの世界ではしばしば起こります。詳細はわからなくとも、原曲を原詞で歌うからこそ心に響く…。
何が言いたいのか…ですか? それは、今さらですが、フランスの歌であるシャンソンは、フランス語で歌うことが最も望ましいということ。
亡くなられた恩師も常々仰っておられました。
≪シャンソンは、フランス語で歌って下さいネ、梨里香さん!≫ と。
ご冥福をお祈りいたします。